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前回、端午節の由縁となった中国戦国時代の詩人「屈原」について紹介しました。

 【端午節】の起源!? 中国戦国時代の詩人「屈原」とは?

 

屈原が自ら身を投げた後、その川では人々がちまきを川に投げ入れる事で、

屈原の亡骸を少しでも魚に食べられないようにした、というのが端午節にちまきを食べる由来でしたね。

 

 

ドラゴンボートの由来

 

その他にも、人々は、屈原を探し助けるために、漁師にもお願いして、たくさんの船を出して捜索を行ったようです。

 

その際に、ちまきを川の中に投げ入れることで、魚や、当時海底や地中に潜んでいるとされていた龍が、屈原を食べてしまわないようにするだけでなく、

 船の上でも太鼓やドラを鳴らして、水面で大きな音を立てる事で、魚や龍から屈原を守ろうとしたそうです。

 

その際に使っていた船が、「龍船 (ドラゴンボート)だったそうです。

 

結局、屈原が助かることはありませんでしたが、

 

その後も毎年、屈原の命日とされている旧暦の55日に、

屈原の霊を供養するために、龍船を使ったレース大会が各地で行われるようになり、

中国国内だけではなく、中華文化が根付いている東南アジア等にも広まったようです

 

このイベントが現代では、「ドラゴンボートフェスティバル」となり、国民達の風習として深く根付いています。

 

中国2千年の歴史、遅るべしですね。

 

 

日本でのドラゴンボートの歴史

 

日本にも「ドラゴンボート」は、江戸時代前期の1655年に初めて長崎に来したと言われてます。

 

1655年と言えば、明暦1年で、当時の天皇は後西天皇(111代目)、江戸幕府の将軍は徳川家綱の時代です。

令和時代の今上天皇が126代目なので、日本だけでもかなりの歴史を感じます。

 

今では、東京、大阪、和歌山、滋賀、京都など各地で、「ドラゴンボート」大会が開催されています。

 

 

ドラゴンボートは、今や国際レベルでの近代スポーツとしても認定もされており、

国際ドラゴンボート連盟(IDBFInternational Dragon Boat Federationによって運営されています。

 

いずれ、オリンピックの一競技として、「ドラゴンボート」が採用される日も遠くないかもしれません。

 

そんな妄想も膨らませつつ、端午節の3連休への期待を膨らませております・・・()

 

By monioz

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