台湾旅行や台湾料理が好きな方でも、実は”台湾が昔日本だった”という歴史を知らない人は少なくないと思います。
私自身も、仕事の関係で台湾に引っ越してくるまで、台湾の歴史が全く頭に入っていなかったです。
本を読めば、清朝時代、日本統治時代、国民党の時代、そして民主化されている現在の台湾までの歴史が分かりますが、歴史に関する本は堅苦しいから読めない、読むのが苦手、という方もいらっしゃると思います。
歴史が苦手な方でも、映画として出来上がった一つのストーリーから、当時の情景や体制を理解し、過去の歴史の一部を知る良い機会になるはずです!
そこで、早速ですが、今回はそれぞれの時代背景をベースに作られた映画について紹介して行きます❗️
『KANO 1931海の向こうの甲子園』
これは以前台湾に滞在していた会社の先輩から、ずーっと強く勧められてた映画で、見たいと思いながら台湾に来てから2年経過してから見ました。
それも先月。。
◆ストーリー
台湾の中部の都市「嘉義」にある高校を舞台にした映画で、試合にも勝ったことがない弱小野球部が、甲子園出場という夢を直向きに追いかけるというストーリーです。
「なんや、よくあるストーリーやんか!」って思った方もいるでしょう。私も初めはそんな気持ちでした。
ただ、そこには今とは違う複雑な時代背景が絡まってます。
◆時代背景
日本統治時代の台湾。言い換えると当時は同じ日本で、学校では日本語で授業が行われてました。
当時の台湾は、大きく括るとみんな日本人ですが、細かく分けると、原住民、台湾人、日本人が存在しました。当時は、それぞれを、「原住民=蕃人」、「台湾人=本島人」、「日本人=内地人」と呼んで区別していたそうです。
“原住民“
中華大陸からの移民がやってくる17世紀よりも前から台湾に居住していた人達。台湾には16の原住民族があり、今でも当時の集落や風習は大切に残されている。原住民の方は運動神経が良く、歌も美味い、と台湾の知り合いから聞きました。
“台湾人”
17世紀頃〜19世紀初め頃までに中華大陸から移民して来た漢族のこと。中でも福建省出身の閩南人と、広東省北部出身の客家人に大きく分かれるそうです。
“日本人“
日清戦争後の1985年に結んだ下関条約により、日本人が台湾を植民地化し、多くの日本人が台湾に移り住んでいました。
◆民族の壁を越える⁉️
当時はこれら3民族の階層秩序がはっきりと区別されており、それぞれが同じ立場で交わり合うことは言わば御法度でした。
そんな中、嘉義にある嘉義農林學校の野球部は、それら民族の壁を越えて、お互いに助け合い、周りから不可能と馬鹿にされ続けて来た甲子園出場の夢を果たす、というストーリーです。
◆実話を元にしたストーリー
実話を元にしたストーリーだからこそ、一層胸が熱く締め付けられる思いになります。
今でこそ民主主義でグローバルな世の中ですが、当時の時代背景の中で、民族の壁を超えて一致団結する姿はかなり珍しかったんだろうと思います。
◆まとめ
今回紹介した映画を見て、「もっと台湾のことを知りたい!」、「台湾に行ってみたい!」、「台湾の人と友達になりたい!」って思う方が少しでも増えてくれれば、嬉しく思います。
ちなみに映画に出てくる嘉義の噴水がある大きな交差点は今でも街の中心として在り続けています。
過去があるから今がある、昔のことを知ることは今を生きて行く上で、絶対必要とまでは言いませんが、自分の視野や世界観がさらに広がることにもなるので、私は大事にして行きたいと考えてます。
映画を見たら、ぜひ嘉義にも足を運んでみては如何でしょうか!!